平安から戦国時代まで



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平安から戦国時代まで

食事も文化の1つなので、長い時間を掛けて少しずつ今の日本食ができあがってきたのですが、総菜とも記述される現代の「おかず」は、どの辺りで完成したのでしょうか? その歴史を探るために今回は平安時代から戦国時代までさかのぼりたいと思います。

平安時代は質素な料理だった

縄文時代はドングリなども食べた
縄文時代はドングリなども食べた

基本的に縄文時代弥生時代飛鳥時代など初期の日本では料理らしき料理は見当たらないのですが、食材の豊富さという観点から言えば日本は恵まれた土地だったといえそうです。海に囲まれているので海産物も獲れますし、温暖な気候で広葉樹も多いので、ドングリなどの木の実や果実もたくさん採れました

弥生時代にお米が栽培され始める
弥生時代にお米が栽培され始める

そうした自然の恵みに依存した形で日本人は食事をしてきたのですが、弥生時代から米作が始まり食事にお米が並ぶようになります。さらには肉や魚、野菜や木の実などが副菜、総菜として楽しまれるようになります。
さらに平安時代になると、一部の皇族や貴族が漆塗りの器に海産物や野菜類、肉類を盛り付けて、お米と一緒に食べるといった、まさに現代の食事に通じる原形が完成します。 しかし、当時の輸送の技術は乏しいですし、保存や加工の技術もそれほど優れていないので、京都や奈良の身分が高い人であっても、当時は新鮮な食材を口にできなかったと言われています。

鎌倉時代も平安時代と変わらず質素な料理

鎌倉時代になると武士が世の中心になりますが、この時期の武士や庶民は、平安時代とほとんど変わらず質素な料理を食べていました。白米と玄米を混ぜた主食を食べ、焼き魚やイモの煮物、梅干や漬け物などの惣菜を並べるだけで、今のように一汁三菜といった世界とはほど遠い状態でした。
このころはまだ1日2食しか食べない時代なので、今と比べて摂取する栄養素やカロリーは低かったといわれています。

室町時代の食事は、実質的に現代とそれほど変わらない

平安時代は質素な料理
平安時代は質素な料理

室町時代は、いろいろな面で現代の日本文化の原形だといわれていますが、料理も同じです。このころになると支配階級の武士、庶民ともに質素ながら一汁二菜、三菜レベルの食事を日常的に楽しみ、魚の焼き物、野菜の煮物、大根などの漬け物にシジミのすまし汁といった料理を食べていました。肉食を好まなくなった現代の高齢者の食べる料理と、室町時代の庶民の料理はかなり似通っていたと言えるかもしれません。

戦国時代は、西国を中心に肉料理が登場

鎌倉時代はまだ1日2食しか食べなかった
鎌倉時代はまだ1日2食しか食べなかった

戦国時代は南蛮人との貿易が盛んになるので、南蛮からの肉料理の文化が一気に日本の食卓にも入り始めました。特に支配階級の武士になると、牛肉や豚肉のステーキを食べるようになり、シチュー、天ぷら、かまぼこなども食べるようになります。
また、外来の野菜もたくさん登場し、このころにカボチャ、ジャガイモ、トウモロコシなどが入ってきます。食材が一気に広がった時代です。

室町、戦国辺りには既に現代日本食の原形が見えている

鎌倉時代はまだ1日2食しか食べなかった
鎌倉時代はまだ1日2食しか食べなかった

室町や戦国辺りの食事を見てみると、今と基本的には変わらない食事を当時の人も楽しんでいたのだと分かります。
現代との決定的な違いは玄米で、武士が支配階級になった鎌倉以降ずっと、白米に玄米が混ぜられてきました。武士は野山を駆け回り、戦をするのでかなりのエネルギーを消費しました。そのエネルギーを確保するために白米ではなく、積極的に玄米が取り入れられていたと分かります。もちろん金銭的な問題がありますが、支配階級の武士が玄米を必ず食事に取り入れた点は注目に値します。
現代でも玄米が見直されて久しいですが、白米しか食べていない人は武士を見習って玄米を毎日の食卓に積極的に取り入れるといいかもしれません。食物繊維やビタミンなど玄米には白米にない栄養素が豊富に含まれています。玄米回帰を考えてみてください。